― 地に在りて伸ばす手 ―
長篠の戦。
織田軍にて対岸を見下ろしていた慶次は息を飲んだ。
周り立つ兵には聴こえぬほど小さく、けれど多大なる衝撃が込められたそれは自身の耳にさえひどく遠く届いた。
どうっ、とまた一つ重い音が重なる。
―――ああ…。
薄い色の瞳をゆるく眇めながら心のうちに呟く。
―――ああ…これが本当にあの猛き者たちなのか…。
戦が始まる何日か前に叔父から聞いたときは話半分にしか受けていなかったが。
まさかこんなにも顕著に、容易く現れるとは思っていなかった。
無敵と謳われた武田騎馬軍が、地に伏す。
織田信長が手にしたいくつもの銃によって。
ちらりと視界に映った彼の大将は薄く笑み、その双眸を緩く細めている。
深い瞳に宿るのが愉悦かはたまた別のものか、横立つ慶次には判然としなかった。
けれど
胸を空にするほど長く息を吐き出す。
そうしなければ何かに埋め尽くされてしまいそうだった。
がしりと頭を掻いた動作に視線がずれる。
乱雑な所作そのままに揺れた視界は意図せず人馬に溢れた地へ移った。
そこで…
この世の地獄と称する者も出てくるだろう地で、微かなものを見つける。
赤の中に在ってなお赤い一人の兵。
必死に伸ばすその手は何を求めているのか。
追って慶次の口元が上がる。
気がついたときには愛馬の手綱を強く握っていて。
受けた風はずいぶんと気持ち良いものだった。
06.03.31UP
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真田幸村の章。長篠の戦。
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