凍えるような寒さの中、
ただ、其処だけが熱を帯びていた。
― 残 照 ―
「もうこんな季節になったんだな…」
ぽつりと吐き出された声にくのいちは顔を上げた。
見上げた先に居るのは鮮やかな赤い鎧を纏い、十文字槍を携えた自分の主である武将。
けれど、今見つめた彼は先刻までの彼とは全く違っていて、
その様子に目を丸くした。
真田幸村。
目の前に立つ彼は他国にまで名を轟かせる兵で、少なくともここ―――戦場で気を抜くような人物ではない。
むしろ上に『少しは緩めてもよいのでは?』と苦笑されながらも尚、緊迫した雰囲気を維持するような者だ。
その彼が、何と言うか…ひどく自然な、“人”としてただ空を見上げていた。
硬い空気などどこにもなく、ただ其処に立っている。
じっと、彼方から降りてくる白い雪を静かに見つめ続けている。
まるで切り離されたかのようなその空間。
「……」
何だろう…異様にむかむかとしてきた。
隣に居る彼は声をかけてきておきながら一向にこちらの反応を求めてこない。
いや、もしかしたら先の言葉もこちらにではなくどこか遠くに零しただけだったのかもしれないけれど。
向けた先はこことは違う、ずっと遠くかもしれないけど。
そんなことはどうでもよくて、でも
気に食わない。
それだけは確かだった。
「―――ッ!」
聞きなれた甲高い鋼の音が、尾を引いて流れていった。
その余韻を打ち消すように挙げていた腕をゆっくりと動かす。
脇へと戻した手は数瞬前に苦無を投げたそのままの形で、繋げようと思えばいつでも次へと移れる状態だ。
恐らく瞬きの間もなく自分は手元から鋼を打ち出すだろう。
惑いのない鋭い軌跡を目で追って、そしてまたその次を見つめる。
この冷えた心のままに。
もたらすものが何かの喪失だろうと、何かの認識だろうと構わず見つめるだけ。
例えばその何かが“生”の存在でも。
視線を据えるだけだ。
それが自分。
そうして、主であるこの男へ向けてでもその事は変わらない。
―――変わらないはず、だった。
小さな舌打ちが漏れる。
衝動のままに苦無を向けたときに、一体何を思った…?
握る鋼が火傷しそうに熱く感じたなど、馬鹿馬鹿しくて自らの正気さえ疑ってしまう。
ああ、本当に馬鹿らしい。
自分も彼と同じじゃないか。
“幸村”を見つけた瞬間、自分も“くのいち”ではなくなっていた。
血と咎を生み出すこの場所で。
目を逸らしてしまった。
血も咎も霞ませてしまった。
それこそ瞬く間さえもない刹那だろうと、ここでそうしたことに重い苦さを感じる。
“私”は今の自分に必要ない。
“くのいち”を思い出せ。
早く、早く。
ここはそんな場所じゃない。
なのに、
「…くのいち」
揮った得物を下ろし、自分の名と共にこちらを見た幸村の顔には呆れが色濃く浮かんでいる。
それに容易く“いつもの”自分を取り戻す感覚を感じた。
「だって〜今の幸村さま、私でも殺れるかな〜と思って」
「……思って?」
「試してみました」
「………試さないでくれ」
ため息と共に軽くこづかれる。
それに“いつものように”名前を付けたくない何かが胸に宿るのを感じた。
馬鹿らしい、じゃすまない。
自分は馬鹿だ。
それだけで、ずっしりと乗りかかっていたものがするりと抜け落ちたなんて。
「…そろそろですかねぇ」
視線を逸らし、それまでと全く関わりのない言葉を投げかける。
向かう先は遠い―――戦場。
「…ああ」
傍らから伝わる空気が鋭さを増した。
「まだ苦無は残ってますからね、幸村さま」
「は?」
「またさっきの幸村さまになったら〜、飛んでくるかもしれないですよん?」
「……心得ておこう」
「ちなみに数は〜両手では足りないほどですんで、安心してくださいね」
「…………」
「行きます?」
「ああ」
白くけぶる息を吐き、ほぼ同時に駆けだした。
向かう先は遠い遠い、戦場。
先を行くのは勿論忍びである自分。
ただ遠い場所だけを見つめて足を動かす。
でも、少し前の赤い背とすれ違う瞬間、
「いつかは…ね」
「―――、」
言いたくなってしまった。
霞んだ先の、その先を。
そんな確証もない戯言を。
望む、言葉を。
05.03.24UP
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これを書いたのはかなり昔です。戦国の猛将伝が出た頃…だったと。
戦国ではこのカップリングがかなり好きです!
この二人は甘いだけの関係でなく知らず支え合っているような関係でいてほしい…。
ブラウザバック推奨
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