青空の下

     今日で二年が満ちる

 

 

 

                                              ― ふたとせ 前編 ―

 

 

 

     楚々としつつどこか慌しげな空気。

     一礼ののちに通りすぎていく文官を見送っていた視線をずらし、陸遜は己の身体を見下ろした。

     自身が好む赤を基調とした礼服には皺一つなく、常以上の質の高さにこの場がいかに重要なのかを再度認識する。

     大切な、礼を欠くことの出来ぬ場所。

     重々しい考えに小さな息を吐いて左脇に垂れる佩玉を手の平へのせた。

     自国が主―――諸葛亮を表す“龍”が彫られた緑石は触れた先から硬質な冷たさを伝え、じわじわと染み込む体温が移りきら

     ぬうちに指を引く。

     格式ばった服装と玉の意味するところは、国を代表したものであるということ。

 

     何故こんな面倒なことを引き受けてしまったのか……。

     七日前を思い出し、目を伏せる。

 

     『建国ニ年目を迎えるそうですよ』

 

     早朝に呼ばれ何の説明もなくいきなり言われたことが、コレだ。

     同時に裏の読めないあの微笑も共に浮かび、痛むこめかみを押さえる。

     ―――つまりは同盟国が祝いに参じろ、ということで。

     大任どころじゃない仕事にずしりと肩が重くなる。

 

     (………そんなに殊勝な性格ではなかったと思っていたのですがね…)

 

     そう省みれども、実際は意識している自分がいて。

     もっと図太い性格だと思っていたのを一応人前、と改めるべきか。

     ちらりとまぶたを上げ、室内を瞳だけで見回した。

     大陸のどこでもよく見かける朱塗り扉と、色を合わせるようにして品良く整えられた内装の数々を追う。

     まさに質実剛健。

     言葉にすればそれだけだが、だからこそ一目で良治者が統べていると分かる部屋だ。

     案内される道すがらと何ら変わらぬ印象に緩く視線を細める。

     豪奢な暮らしよりも、飢えのない国を。

     はっきりと分かる形に誰が負の感情を抱けるか。

     こうして他国の臣である自身さえも思うのだから住んでいる者たちなら尚のことそう思うはずだ。

     きっと尊びと敬いの気持ちに溢れているのだろう。

 

     “それ”は時に何よりも強い力となる。

 

     口にすることはない思考に微笑を浮かべた。

     いくら同盟国かつ招かれた身といえ、感じた感嘆を素直に表すわけにはいかない。

     全ては心の内にだけ、留める。

     侮られるわけにはいかない。

     たとえ室内には己以外の姿はなく、扉の外にのみこの国の者たちが控えているのだとしても。

     自分たちは下付くものではなく、並び立つものなのだから…。

 

 

     かたり、と音を立てた扉に背を正す。

     今は“陸遜”ではなく、“諸葛亮が名代”。そう瞬時にまとった気が、上げた視線の先に

 

     揺れた。

 

 

 

 

 

     「…陸遜?」

 

     傾げた動作にしゃらりと涼やかな音が鳴る。

     一歩一歩に柔らかな衣が舞う。

     どこか荘厳な雰囲気さえまとって

     鮮やかな装いに包まれた少女が、ふしぎそうに見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

     「…………、殿…?」

 

     不確かな呼びかけに対する少女がふわりと笑む。

 

     「びっくりした?」

 

     問いかけに頷くことも頭を振ることも出来ず立ち尽くす。……己の言葉が、なぜか見つからなかった。

     そんな空虚な思考でも“何か返さなければ”ということだけは渦巻いていて、姿勢を変えずに待っていてくれる茶の双眸を見下

     ろした。

 

     何か…何でもいいから言を紡がねば。

 

     だが、何を?

 

 

 

     そう混沌とした自問に

     狭まった聴覚に、ふと音が落ちる。

 

     可笑しそうな、くすくすと鈴が転げるかのような声。

 

     「何か龍兄みたい」

 

     聞き知ったその調子に、上がる見知った口角にするりと空気が動いた。

 

     「龍昇殿も、驚かれたのですか?」

     「うん、こんな格好したことなかったからね」

 

     もともと大層な出じゃないし。言ってくるりと身を翻し、再び向かい合った瞳は何度も対した強い色を浮かべていた。

     多くを見据える、揺るがぬ表情。

     そうして紡がれるのは少女ではなく、国が重臣の声。

 

     「参りましょうか、陸遜殿」

     「…ええ」

 

     厳かで、粛々とした場へと

     一歩を踏み出しながら

     呼びかけに応えた瞬間、過ぎったものは何だったのか

 

     出ぬ答えを抱えたまま陸遜は光の中へと進んだ

 

 

 

                                                               07.03.24UP

 

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     サイト開設二周年御礼(別名、自己満足)話です。

     (珍しく)ほんのり真面目風味。

 

 

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