「伯言は本当にあの国を買ってるんですね」
自国が臣。諸葛亮を支えるニ翼を担っている片割れが感心したように呟いたのはいつのことだったか。
至極興味深そうに、口元に手を添えられてまじまじと見られたのを覚えている。
確か、あれはそう……この隣国と同盟を結ぶために各々が国境の小さな村に主と揃って赴いたときのことだった。
同盟が儀の舞台となるその村は国の境ということもあり、何度も戦を経験していたためかことさらに浮かれていて、全てが祝い
に満ちていた。
そんな場所で向かう視線に自分は迷いもなく答えを口にする。
思え返せば、それはたった半年前のこと。
― ふたとせ 後編 ―
ゆるゆると耳に触れる楽の音。心地よく、けれど祝いの場に相応しくしっかりと盛り上げてくれるその音は実はこの国の臣が奏
でているもので。
やっぱり自分たちでも祝いたいんですよね。そうこっそりと格式ばった式典のあとに教えた人を陸遜は思い出す。
真白き衣に包まれた、主のみにしか許されない玉座に座る人。
自然と空気が研ぎ澄まされるような、そんな雰囲気を確かに持っていながら次の瞬間、全てを拭うようにころりと表情を変えた
のに内心驚いていたのだが。
そんな彼女だからこそ、これだけの人々がついてきたのだろうと妙に納得もさせられた。
妹である大将軍を始め、武に知、それぞれに優れた人材が集まる広間を見渡す。
皆が皆、本当に嬉しそうに笑んでいた。
―――そう、最大限の敬意を示すべきだろう場面であっても己は常と変わらず。
いく人かの重臣と相対したときも心の内はちらりとも揺らぎはしなかった。
なのに。
かつ、と小さく石畳が鳴れば、間を置かず同じ音が追う。
一定の間隔を保つその動きは第三者が見れば合わせ舞のように正確で。
しかし、当人においては舞などという優雅なものとは全くかけ離れていた。
(………………一体どうしたというのか…)
かつり。また一つ音を重ねながら陸遜は唸り声を飲み込む。
即座に上載せられた石畳の音をもう何度耳にしただろう。
飽くこともなくくり返される調べに一体全体自分はどうしたのだ、と再度問うた。
そして
「いつまで逃げるのさ」
「…………貴女こそ、主催者の一人ではないですか。お早くお戻りになられた方がよろしいかと」
「お客さまに酌するのも重要な仕事だと思うよ」
「ことに祝うべきお相手は貴女の主だと思うのですが」
「その姉にちゃんと断ってきたから大丈夫」
だから酌させろ、と無言のままに歩み寄る少女の手には似つかわしくない、大振りの酒瓶。
歩くたびに鳴るその水音を結構です、と断っているのが自分だ。
押して、引いて。まさしく堂々巡りの押し問答。
陸遜が一歩下がってはが一歩追う、という何ともいえない追いかけっこが始まってからずい分と時は流れており。飽くこと
のない少女に頭を抱えたくなる。
互いに正装に包まれていながらも挟む間合いは戦場と同様で。
行け、と命じた己の主が目にしたら呆れに呆れるだろう姿だと冷静な思考が呟くのを聞いた。
何をやっているんだか。
そう、何度くり返しただろう。
盃を受けて、幾許かの言葉を重ねて、そうして何事もないように宴に埋もれればいい。
そう分かっていながら、どうしてか陸遜の身体は勝手にから一定の距離を取る。
少女の瞳に一層の不機嫌さが募るのが、見えた。
「陸遜」
負を含まず、けれど意図を悟らせない戦場での視線と
不満だと全面に現されている今、目の前の視線。
相反していながらもただひたすらに真っ直ぐなその二つが重なって、陸遜は顔をしかめてしまった。
わずかに。
そんな、暗がりにあって見落とすのが常であろう些細なその反応をは見逃すことなく。
憮然とした表情を改め、一歩、陸遜へと歩み寄る。
「陸遜?」
そう、どうしたんだ、と手を引くように柔らかく慎重に問うから
一歩、下がる間を逃して陸遜との距離は手が伸ばせば届く位置へと狭まってしまった。
「陸遜」
窺うように真っ直ぐと見据えられてしまって、隠せなかった表情が更に苦さを増すのを感じた。
こんな間抜けな行動の理由を―――宴へと向かう直前、扉を前にする瞬間に感じた違和感を、気づくより先に声にしていた。
「…………………どうすれば、いいんですか?」
きょとんと瞬くにようやっと思考が追いついて、何をやってるんだ、と舌打ちしたくなるような情けなさがわく、が一度発した
ものをなかったことにすることも出来ず。
戦で破れたときにさえ見せないやけくそさ陸遜は重ねるよう、問うていた。
「どう…貴女に対すれば、いいんでしょうか…」
武や知を競うでなく、政を語るでなく、平和なこの場において。どうに対せばいいのか、分からない。
そんな幼子のような問いに、無意識に視線がそれる。を直視できなかったことなど一度もなかったというのに。
ないない尽くしの自分に苛立ったからか、答えが返らないからか。
陸遜には沈黙がひどく落ちつかなく感じた。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「………………あの、、殿?」
「え? あ、うん、えっと…」
耐えきれずちらりと視線を戻せば呆気にとられている姿が映り、
「…殿?」
「いや、まさかそんな簡単な理由でずっとよそよそしかったとは思わなくて」
驚いちゃったよ、と頬をかいて言われたことに今度は陸遜が唖然とした。
「簡単、なんですか?」
「うん、だってそうでしょ?」
当然だというよう頷くに表情を正す。容易いことだというなら今すぐにもその答えがほしかった。
おそらく至極真面目な顔つきになっているのだろう、微笑っていたは戸惑うように口内で何度か唸り、あくまでも自分の考
えだと前置いて口を開く。
「“どうすればいい”じゃなくて、“どうしたいか”だからさ」
「……どう、したいか…」
「そう。 ちなみに僕は戦のことだけじゃなくて、陸遜とは色んな話をしたいって思ってるけどね、もっと」
そうためらいもなく告げるに言葉をのむ。
どうしたいか。
六つの音が何度か思考の中でくり返された。
そうしてしばらくののち、自然と答えが口をつく。
「私も、もっと、殿と話したいです」
そうあっさりと出た答えを己が耳で認識して、陸遜は思わず口元を押さえる。
本当に簡単に、当然のように答えは出てきて。
迷うことすらしなかった自分にふいに可笑しさがわき上がった。
「陸遜??」
突然笑い出した陸遜に驚いたのだろう、がその大きな瞳をせわしなく瞬かせて一歩歩み寄る。
ぐっと、近く。
「………本当に、貴女はすごい」
「?? 何が?」
「全部が」
当然だと、笑って答えを差し出せる姿も。
国の重臣なのに同盟国の人間とはいえ、こんなに近くためらいもなく歩み寄るところも。
それらは出会った場所である戦場では見えなかった面で。
戦場でない場所でなお、同様に強く陸遜の興味を引く。
うやむやで形のつかめなかった違和感は落ちついてみればしっくりと手に馴染んで。
武も知も、するりと飛び越えた距離を陸遜はずい分と気に入ってしまった。
それはこの戦乱の世においてとても脆いものかもしれないが、少なくとも同盟の下にある間は最良の立ち位置だろうと、今は
すんなりと思えた。
「どうやら有意義な時間を過ごせたようですね」
「伯約が国を守っててくれたお蔭でね」
離れていた間の諸々の資料を目にしていたところに通りがかった片割れ―――姜維に陸遜は振り返りもせず答える。
笑みを含んでいた気配がまじまじと己の背を観察するのを感じた。
「………伯言にこんな言葉を言わせるだなんて…よっぽどあの国は鮮烈なんですね」
呆気にとられたような、しかし根底に面白さを隠しもせずのせた声に読み終えた竹簡をたたみながら視線を向ける。
答えは、半年前と変わらない、肯定。
「彼女がいる国ですから」
07.11.22UP
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含む強さは増してなお、変わらぬ基準。
どエラく引っぱってしまった後編です…(汗)。
気がつくと少女漫画路線に走ってしまった話でした…。何だかロデオにでも挑戦しちゃったような後味が拭えぬ結果に…。
ブラウザバック推奨