あの手の温もりに

                 こうして立ち上がって

                 歩き出して

                 やっと自分を振り返る

 

                 けれど

 

                 歩き出したら

                 また

                 ふとしたことで

 

                 記憶を揺さぶられた

 

 

 

              ― 虚無の光 4 ―

 

 

 

                 暗い暗い闇の中、音をたてず歩き出す。

                 昼間、手を引かれ長々と歩いたのに、この暗闇の中では見覚えのある場所かどうかさえ分からない。

                 光の中と闇の中ではこうも映るものが違うのか。

                 大分寒くなってきた空気に、口元へ寄せた掌へと息を吹きかけた。

 

                 もうずっと、あの言葉を繰り返している。

 

                 伝わる息吹の熱も、時に服の裾を泳がす冷気も、

                 “生きて”いないと感じることのないもの。

 

                 ならばこうして、受けているだけが“生きている”のだろうか。

 

                 温かさも冷たさも、

                 凶事も。

 

                 受けて、乗り越えることが出来れば…出来るのが“生きている”者の強さなのか。

 

 

                 もうずっと、繰り返している。

 

                 あの時、彼はどうして自分に“生きている”と言ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 「ったく、周瑜の野郎…」

 

                 珍しく気が向いて(後で周瑜に落ち込んでいた証拠だと言われたが)筆をとり、執務へと手を出した。

                 いくつか片付け終えた頃に来た周瑜と話し、積み重なっていたのだろう鬱積を拭ったことで気まぐれもな

                 りを潜めようとしたのだけれど。

                 それに何時も手を煩わされている周瑜が逃すはずもなく、そのまま机上に並んだ竹簡が消えるまで孫策

                 は椅子から立ち上がることは出来なかった。

                 その為、月が自身を主張する宵闇の帰宅である。

                 まあ帰宅と言っても執務室から少し離れた自室に帰るだけだが。

 

                 (城に住んでて帰宅も何もねぇしな…)

 

                 自分で考えていたことながら呆れる。

                 こんなことを考えるなんて、余程らしからぬことをした反動だろうか。

 

                 (別に執務が嫌っつー訳じゃねぇんだけど……様子ぐらいは見に行きたかったな)

 

                 鬱積が解決した今、それに関わる少女の顔を見たいと思ったのだ。

                 悩んでいたときには多少後ろめたくもあったのだが、今は純粋に会ってみたかった。

                 そう思っていたのだけれども。

 

                 「こんな夜半に女のところへ行けるかよ…」

 

                 もう日付も変わった時刻だ。

                 女性うんぬん以前に人を訪ねる時間でさえない。

                 今日ばかりは執務を溜め込んだ自身にため息さえ零れる。

 

                 「まあ、明日にしとくか」

 

                 女官に聞いていた少女の様子に心配は募っていたが、会えないものは仕方がない。

                 少女の様子…。付けた女官の声にも反応せず、茫然自失の状態が続いているという。

                 原因が原因なだけに当然だろうが、せめて食事だけは摂らせよう。

                 そう明日の予定を決め、取りあえずは冴えてしまっている意識を落ち着かせるため城に造られた庭園へと

                 寄り道を決めた。

 

 

 

                 四季折々の花や草木の並ぶ庭園は近づくにつれ様々な香りを届かす。

                 夜の方が香りが引き立つな、などと普段余り気にも留めないことを考えながら足を進めていた孫策の足

                 がふと止まる。

 

                 月光に照らされる花々の中、

                 一番初めに目が行ったのは丸められた小さな後姿だった。

 

                 (…誰だ?)

 

                 見慣れぬ姿に一瞬気を張ったものの、どうみても刺客やその類には見えない幼い背に肩の力を抜く。

                 第一これだけ自分が近づいても気付かぬ刺客がいるはずもない。

                 しかし、幼いと称される者がこの城に居るはずもないと正体を知るべく孫策は頼りない月の光に目を凝ら

                 した。

                 そして判明した人物に軽く驚く。

 

                 (何つー偶然なんだか…)

 

 

                 まさかここで問題の少女と出会うとは思ってもいなかった。

 

                 突然のことに戸惑うものの、一つ息をつき回廊の柱で身を支える。

                 少女の格好は夜着のままだ。…茫然自失のままにさまよってここに来たのだろうか。

                 しばらく微動だにしない姿を見つめていたが、さすがに来たばかりで紹介さえしていない彼女がここに居

                 続けるのは不味い。

                 何よりも怪我をしていて食事さえまともにとっていない彼女にこの冷気は辛すぎる。

                 せめて場所を移そうと声を掛けるべく孫策は口を開いた。

 

                 「…………」

 

                 開いたのだが、それは音を成すことなく閉じられる。

                 そうして、据えた視線を逸らすことが出来なくなっていた。

 

 

                 淡く白い光に照らされた少女の横顔が、

                 あの紅に染まった姿と重なる。

 

 

 

                 「………凍えるぞ」

 

                 無意識に零れた自身の言葉に目の前の背がぴくりと揺れた。

                 ゆっくりと振り返った瞳はあの時と違い自分を映していることに内心安堵する。

 

                 「あ…」

                 「随分と遅い夜更かしだな」

 

                 どうやら自分のことを覚えている様子の彼女に孫策は言葉を続けた。

 

                 「眠れ、なくて…」

                 「お、奇遇だな、俺もだぜ」

                 「そう、なんですか?」

                 「おお、ってことで隣いいか?」

 

                 数瞬の間を置いてこくりと頷きが返ってきた。それに笑い返して隣に腰を下ろす。

                 こうして会話が出来ることに孫策は驚きつつも、嬉しさを感じていた。

                 それに周瑜の言葉が思い出される。

 

                 「ちょっとは回復したみてぇだな」

                 「あ、すみません…お礼も挨拶もしなくて…」

                 「そんなのは気にすんな。元気になればそれでいいぜ」

                 「…………尚香…さんのお陰で…」

 

                 躊躇いつつ言われたことに孫策は瞬く。

 

                 「尚香と会ったのか?」

                 「今日、部屋に…」

                 「あー…、先越されたか…」

 

                 散々少女のことを聞いてきた妹に嘆息する。

                 女同士だからという理由で尚香に任せてみようかと考えてもいたのだが。

                 実際こう効果が現れると、少し悔しい。

                 一応自分が連れてきた彼女だ。どこかに自分が力となりたかった気持ちが強くあったのだろう。

 

                 「あ…その…」

                 「ん?」

                 「………………名前を…」

                 「ああ、悪ぃ悪ぃ。俺は孫策っていうんだ」

                 「いや、そうじゃなくて…」

                 「ん?ああ、字は伯符だぜ。好きに呼んでくれていいぜ」

                 「……………。…です」

 

                 軽く目を泳がせ呟いた単語に孫策の言葉が止まる。

 

                 「?」

                 「はい」

                 「……お前の名か?」

                 「はい」

 

                 淡々としたやり取りの中、孫策は湧き上がる思いを必死に抑えていた。

                 今は殆どの人間が眠りへと入っている時間だ。声を上げる訳にはいかない。

                 いかない、けれど。

 

                 「っ!?!!」

                 「そうか、か!」

 

                 起きる衝動に任せて、声の変わりに小さな彼女を抱きしめた。

                 名前を教えてくれたのが、まるで自分を認めてくれたようで、嬉しかった。

 

                 「いい名だな!」

                 「…………………同じ、ですね…」

 

                 思った以上の回復に湧く喜びの中、少女の――の言葉に孫策は腕を緩める。

 

                 「同じ?」

                 「尚香さんも、名前を教えたら喜んでくれました」

                 「…先越されたって、これもかよ…」

 

                 ちょっと、いやかなりがっかりする。

                 どうやら強いどころではなく、かなり力になりたかったようだ。

                 それでも、こうして少女と接することが出来るほど回復しているのは嬉しかった。

 

                 「本当に、ここは温かいですね…」

                 「の格好だと少し寒くねぇか?」

 

                 目を伏せ言うに孫策は羽織っていた上掛けを被せる。

 

                 「悪ぃな、もっと早く気がつけなくて」

                 「……やっぱり、温かいです…」

                 「?」

                 「……………温かくて、思い出す」

 

                 再び開いた瞳に孫策は動きを止めた。

 

                 「もう、ずっと繰り返してるんです」

                 「………」

 

                 それは、あの紅の中彷徨っていた瞳で。

 

                 「“生きている”」

                 「………

                 「私は本当に“生きている”?」

 

 

 

                 夜風に彼岸花の紅が、揺れていた。

 

 

 

                                                              05.04.26UP

                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                 尚香と分かれてからずっと考えていたこと。

                 人の温かさに立ち上がると共に、その温かさに懐かしくも二度と戻らない思い出が甦る。

                 癒しと苦しみが同時にきたとき、人はどうするのでしょうか。

 

                 と、真面目に書きつつ、策兄が驚きすぎだと自己ツッコミ…(笑)。いや、女官の報告しか聞いていなかっ

                 た彼にはさんの回復っぷりはさぞ吃驚だっただろうと…。彼岸花は秋花なので、気温はちょっと低め

                 です。(何て季節を無視した話…)

                 何とも微妙なところで切ってすみません…。早めに続きはアップしますので!

 

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