壊れて崩れて

                なくなって

 

                それでも立ち上がってみれば

                紅い

                彼岸花が揺れていた

 

                ああ、確か彼岸花の花言葉は《悲しい思い出》だったな、と思う

 

 

                紅い紅い記憶

 

                まだ、思い出になんてしたくはなかったのに

 

 

 

             ― 虚無の光 5 ―

 

 

 

                その日は綺麗な青空が広がっていて、私は呑気に“山に入るにはもってこいの日だ”なんて考えていた。

 

 

                「枸杞の実が今はある頃よね…もしかしたら棗も見つけることが出来るかも」

 

                頭の中にある薬草と季節を照らし合わせ、どのように山を廻るか決めていく。

                何とかもぎ取った休みなのだ。出来るなら望む薬草は全て揃えたい。

 

                「…折角の休みなのに山なんて、色気も何もないわね」

                「!母さん!何で床から出て…っていうか色気ってなに?!」

 

                背にしていた家の扉を開けて声を掛けてきたのは、自分の母親だ。

                身に纏うのは薄い夜着だけで、慌ててその肩を部屋へと押し戻す。

 

                「ちょっとでも冷えたら大変でしょ!もう、そんな冗談言うために無理しないでよ!!」

                「えー、がいつまで経っても年頃の興味を示さないからいけないんでしょー」

                「“えー”じゃないし!つかまだそんな年でもないんだけど…」

 

                十をいくつか超えたぐらいで年頃と言われたらもっと成長した時は一体何だと言うのだろうか。

                それ以前にその若々しい口調は何なんだ。

 

                「失礼な。母さんはまだ十分若いんです」

                「この呆れた視線の意味を解してくれるならもっとさあ…。…ああ、もういいや…」

 

                きっと解ってて言っているのだろうから、これ以上は無駄だろう。

                そうこうする内に室内へ戻り、寝台へと母を促す。

                憮然としていた母もそこからは大人しく床に入った。

 

                「…久しぶりのお休みなんでしょ?」

                「久しぶりの休みだから山に行けるんだよ」

 

                納得いかなさげな母に笑いかける。

                一年前から変わらず蒼白いその顔に諦めの色が浮かんだ。

                ずっと女手一つで育ててくれた母はそれが祟ったのか、長いこと体を崩していた。

                稼ぎ手がいなくなる訳にはいかず、今は私の小さいころから備わっていた武芸でそれを支えている。

                幾ら小さな村とはいえ、乱世に生きるのだ。自衛としての団は作られており、はそこで若年ながら副長

                として身を連ねていた。

 

                「でも、副長ならこんな休み滅多にないでしょう?」

                「!…いや、最近新人が入ったから…思ったより余裕もあるんだよね」

 

                そう、新人が入ったのは嘘ではない。

                ただその新人に副長権限というか押しの強い頼みというか、まあそんなもので何とか捻り出した休みであ

                ることは言えないけど。

 

                「………そう」

                「母さんが思うより山を散策するのも楽しいもんだよ」

                「…………ごめんね」

                「や、やだなぁ…ただの気晴らしのついでなのに、大げさだよ…」

 

                そんな風に謝ることなんて母は何もしていない。

                むしろ、それ以上のことが出来ない自分の方が謝りたかった。

 

                「……………えっと、じゃあ日が暮れる前には帰ってくるから」

                「…気をつけて行ってらっしゃい」

                「うん。行って来ます」

 

 

                告げて手を振って、どうせならとちょっとした狩りもして

                薬草も栄養も母に摂らせることが出来ると

                迎えてくれる言葉が聞けるものだと

                そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                「全部全部大切なものだったのに…っ」

 

                今だって鮮明に思い返せる。

                仕事仲間との戯れ。厳しくも武を惜しみなく伝えてくれた団長の言葉。少し歩けば声を掛けてくれる村の皆。

                母の、

                一生懸命働いてくれた痕の残る細い手の温もりも、何時でも絶やさずいてくれた微笑も。

 

                全部、掛け替えのないものだった。

 

                「“生きて”いれば、乗り越えられる?」

 

                どんな困難も苦しみも、時が和らげてくれると人は言うけれど。

 

                「“生きて”いるから受け止めなくちゃいけない…?」

 

                起きたことを見据えなければ前に進めないと、聞いていたけれど。

 

                「…そんなこと、出来ないよ」

 

                だって、

 

                「私が…、私が居たら変わっていた?」

                「…

                「倒すことが出来たのに、私が居れば、無理やり休むなんて言わなきゃ誰も死ななかったかもしれないの

                 にっ!なのにっ!」

                「

                「私、わ、たし…生きて、っ…本当に生きていていいの?!」

                「!」

 

                ぐっと引かれて、目の前が真っ暗になる。

                強く頭を押さえられて、背にも力強い手が添えられていて。

 

                ああ、そういえば人が居たんだ。と頭の片隅で考える。

 

                「もう、止めろ」

                「…………」

 

                どうして?だってまだ答えは出ていない。

                ずっと、繰り返している。

                この虚ろな痛みの中、私は本当に“生きてる”?

                村の、母さんを失わせてしまった私は、本当に“生きて”いていいの?

 

                「…いいわけが、ない」

                「っ」

                「だって、ずっとずっと考えていても、苦しいだけなのに…」

                「っ、馬鹿かお前は!」

 

                いきなり肩を押されて視界が戻る。そうして、

                認識する間もなく頬に鋭い痛みが走った。

 

                「っ……」

                「逃げるな」

                「…、え」

                「言っただろ、最初にも…」

 

                彼の変わらず強い瞳に、初めて会った時を思い出す。

 

 

                「痛みから、苦しみから逃げるなよ。

                 ……生きてほしいんだ」

 

 

                言葉に

                涙が、流れた。

 

 

                そういえば、あの日のことで泣いたのは初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                「…………ごめん、な。痛かっただろ…」

 

                ゆっくりと、熱を持ち始めた頬に手を伸ばす彼の方が痛そうでふっと笑う。

                それに気まずげに頭を掻いて彼は目を逸らした。

 

                「俺のこういう所にあいつが怒るのも分かるな…」

                「あいつ?」

                「ああ、おれの義兄弟で…ほら最初の時も俺の傍に居た奴だ」

                「??」

 

                与えられた情報を素に記憶を掘り返すも、全く覚えていない。

                というかあの時はそれどころじゃなくて、自分の行動でさえあやふやな所があるのだが。

 

                「まあ、覚えてなくて当たり前か。んじゃ、そうだなー…

                 今俺たちの後ろで聞き耳たててる周瑜って奴とか言えば分かるか?」

                「え…」

 

                にやりと言われた言葉に目を瞬く。そうしている内に土を踏む柔らかな音が背後から近づいてきた。

 

                「……気付いていたなら声を掛けろ、孫策」

                「昼間の礼だからな」

                「………」

                「私はいいが、彼女まで驚かせてどうするんだ」

                「あー、それは…。悪かったな、

                「………」

 

                どう答えていいか、上手く回らない頭で必死に考えるも全く纏まらない。

                そんな私に視線を据え、孫策さんが口を開いた。

 

                「…、生きていく中で受け止めなくちゃいけねぇことは、きっとかなりある」

                「………」

                「だけどな、受け止めるだけじゃねえ」

                「………」

                「受け止めて、また生み出すのが“生きてる”んだ」

 

 

                さらりと風に揺れた彼岸花が静かな音を立てる。

 

 

                「生み出るのは立ち上がる力とか進む力とか色々あるけど、

                 今のは、悲しみを、な」

                「……っ」

                「そうして“生きて”いこう」

 

                もう声にならなくて、優しく撫でられる手に促されるまま涙は溢れた。

 

 

 

 

 

 

                「彼岸花か…」

                「ん?何だ、周瑜?」

                「少し、この花に纏わる話を思い出してな」

                「……《悲しい思い出》、ですか?」

 

                月光に照らされた紅を見て、周瑜さんに向き直る。

 

                「いや…。その思い出をこの花に話すと悲しみが和らぐというものだ」

                「お、そりゃいいな!よし今の内にいっぱい話しとけ、

                「促すものではないだろ、孫策…」

                「そうか?」

                「そうだ」

 

                二人のやり取りが可笑しくて、小さく笑った。

 

                「…悲しいだけじゃ、ないんですね」

                「ああ、悲しいだけじゃねえ」

 

                この紅い花も。

                人も。

 

                「……まだ、痛みは抜けないけど」

                「それは一人で乗り越えるものではないだろう?」

 

                周瑜さんもこの拙い言葉をしっかりと受け止めてくれる。

 

                「私は、生きていきたいと、思います…」

                「そうか…」

 

                柔らかく、嬉しそうに笑ってくれた孫策さんが“生きていこう”と

                そう言ってくれたから。

 

 

 

 

 

                「ところで周瑜は何でこんな遅くに起きてたんだ?」

                「それはだな…

                 お前が帰ってこんと女官に叩き起こされたからだ

                「「あ…」」

                「ご、ごめんなさい!私のせいでっ」

 

                慌てて言えばすぐさま否定が返ってくる。

 

                「君が気にすることじゃない」

                「そうだぜー、

                「全部こいつの責任だからな」

                「しゅ、周瑜、扱いが違い過ぎるぜ…」

                「事実だろう」

 

                そんな言葉を交わして、ふと随分呼吸が楽になっているのに気がついた。

                胸に積もっていたものが流れ出たからか。

                でも、大切なことは忘れずに残っている。

 

 

                「……有難うございます」

 

 

                この気持ちをいつか優しいこの人たちに返すことは出来るだろうか。

 

                せめて彼らが笑っていられるように

                今度は私も力に慣れたらいい。

 

 

 

 

                夜風に翻った紅い花は、今はとても温かく見えた。

 

 

                                                              05.04.27UP

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                この連載で一番書きたかった話です。“生きる”という言葉はとても難しく、こんなものではないのでしょうが。

                一つの考えとして形としてみました。んで、今回も長いと…(駄目駄目字書き)。

                次回からは大分明るくなると思います。あ、薬草は『イー薬草・ドット・コム』という所で調べました。

                とても分かり易いサイトでしたよー。作中の薬草は滋養強壮のものです。枸杞(クコ)というもの。

 

 

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