それは、本当に意図せず起こって
― 尚も遠く 1 ―
「…ここも違う、か」
見上げた城壁にため息を投げかける。
そうして肩にかけていた外套のほこりを叩き落とした。
一叩きで随分と汚れが舞う。
それが月日と旅の流れを表しているようで、小さく苦笑した。
丁度よく吹いた風に乗ってどこか遠く飛んでいくのを見送る。
「ほんと長旅だったんだけどな…」
呟きにまた溜め息が出そうになるが、こればかりは仕方がない。
一向に元の色へ戻らない外套を放って、踵を返す。
―――それでもまだ行っていない国は、ある。
堅牢な石壁を――強国“魏”の城を背に歩き出しながら、はこれまでを振り返った。
最初は故郷に近い国で武を揮っていたと、過去を思う。
男兄弟の中に育ったためか、父が武将だったからか、乱世故の必然か。
気がつけば娘である自分も、その手に槍を握っていた。
けれど、いくら諸々の武術や体術を習得していたとはいえ女という枷には敵わなかったのか、その国で何
かを成すことはなかった。
群雄割拠の時代だから、その国もすぐ消えてしまったし。
今もいくつもに分かたれている中原を望み、懐かしい、執着もない故国を思った。
国が潰えてからは、強大な力を持つ袁紹の下に行ってみたのだけれども。
男に扮していため以前のように軽んじられることはなかったが、今度は近づいてみた総領の器量狭さに嫌
気がさした。
それでも、与えられる禄に見合うだけの仕事はこなした。
こなして、終えたときには国を後にし、今ではその名家の将さえまともに思い出せないぐらいどうでもよく
なっている。
……まあ、男装が役立つと知っただけでも良かったか。
今もその頃と変わらず身を包む黒で統一された服を見下ろし、そう思う。
旅をする中、その判断は当たっていたと実感することは何度もあった。戦だろうとどこだろうと、幼い者や女
が弱いのは変わらない。ただ一人歩くだけで様々な問題が降りかかるのだ。
それが男に扮しただけでぐっと減った。
……が、袁家で得た利点はそれだけだ。
次こそは、唯一と思える方のために。そう思ってふらふらと国を渡り歩いているのだが。
「孫家も嫌いじゃないんだけどね…」
ここに来る前に行った呉を思い出す。街の人々も、聞いた君主の話も、紛れた盗賊退治を指揮していた将
も悪くはなかったのだけど。
「こう、しっくりこないんだよなー」
ただ、違うと、そう感じた。
「でも、魏も違うし…」
城を見上げただけでそう思うのだから、これは変わらないだろう。
力漲る国故に、というやつだろうか。
ぶつぶつと言う自分を城下の民が怪訝に見つめている。
その視線に気がついて、へらりと笑い返してやったら目を逸らされた。
やばい、怪しまれてる…。
引きつった口元に手を当て、考え込んだときのくせであるこの独り言をいい加減治さねば、と思う。
今更だろうが表情を引き締め、一夜の宿をとるため界隈を抜けようとした時、
「おっと」
「あ、と、すいやせん前見とらんで」
「いや、気にしないでくれ」
「…へ、へぇ」
ぶつかりそうになった中年の男をすっとかわしたら一瞬驚かれた顔をされ、慌てて謝られた。それに笑って
応え、手を振って別れる。
一見何の変哲もないそれを、街行く人々は気にも留めていなかったのだが。
道端に残された男は、遠くなった背に額を拭い呟いた。
「……何だ、あの気迫は…」
うかつにスろうとした腕にたつ鳥肌を寒そうに撫で付ける。
そうして、彼以外の誰もが気にせず、埋もれたであろうそれを静かに見つめていた者がいたとは知らず男も
界隈を後にした。
左右確認、問題なし。前方確認、同じく。ということは…。
回りくどく考えていた思考を投げ出し、至極面倒くさげには振り返った。
「後をつけられるのは嫌いなんだが?」
「ふっ、流石に気配も読めぬほど鈍くはないようだな」
「これだけあからさまに見られて、気付かないやつがいるわけないだろう」
小さく脱力しながら角から出てきた男を見据える。
先のスリと違い、出てきたのは年若い男だ。
何が可笑しいのか軽く口端を上向けている彼に自然目つきがきつくなる。
けれど増した自分の圧力に表情を変えることなく、真正面から受け止めている様子に“只者ではないな”と
頭の隅で考えた。
「…何か用か?」
「そうでなければ追うまい」
「……だったら早く言え」
「鈍くはなくとも、そう短気では宝の持ち腐れだな」
目の前の男が一言言うたびに、こめかみ辺りが引きつるのを意識しないようにしながら口を開いていたのだ
けど。どうも男はそれを楽しんでいるようで、とうとう声を荒げる。
「あんたに言われる筋合いはないね!」
「いや、筋合いならあるぞ」
「…何だと?」
「これからお前を雇うからな」
「はぁあ?」
呆気にとられる自分の手をとって、男は近くの酒場へと引きずっていった。
何で、こんな目に…!
混乱する頭を抱え、卓を挟んで座る男をねめつける。
それに黙って杯を傾けていた男が気付き、にやりと笑い返してきた。
「決めたか?」
「…面倒くさい」
男に連れ込まれ聞かされた話は、近頃幅をきかせている賊の討伐に加われ、というものだった。どうやらそ
の指揮を執るのがこいつらしい。
「ほう、そのようなことを言ってもいいのか?」
「…………加わるか加わらないかは、こっちの意思だろ」
「呉」
小さく零された言葉にぎくりと肩が揺れる。
ほんの僅かな動きのそれに、男は笑みを深めた。
「調べれば色々と分かりそうだな」
「……」
「密偵と疑われることも出てくるかもしれん」
「…っ」
くそ、この悪役が…!!
そう視線にのせても男は面白そうに見つめてくるだけで、その整った顔に手元の杯を投げつけたくなる。
ただそれを実行すれば、やばさは倍増するわけで。
ああ、もう、何でバレたんだ!
がしがしと頭を掻けば、思い浮かぶのは城門前での自身の一言。
『孫家も嫌いじゃないんだけどね…』なぞとうっかり口にしたが…。
まさか、そんな前からこいつは見てたのかよ!
憎らしさに加え、得体の知れなさが募る。
「で、どうするんだ?」
「……………………………………………加わらせて、頂きます…」
「最初から大人しくそう言えばいいものを」
「くっ、この…」
「さて、契約が成った今、俺はお前の何だ?」
「…ぐ、や、雇い主です」
「だったら建前だけでも口を改めるんだな」
「………了解しました」
苦々しく答える。
確かに一度頷いたのだからこいつの言うことも正しい。正しいが、嵌められた感が拭えないこの状況で愛想
よく答えられるはずがない。
それが顔に出ていたのか、男は苦笑して手にした杯を卓に戻した。
「まあ、今までの口調も嫌いではないが」
「あっそう、んじゃ、そういうことで」
「……お前というやつは…」
「上司なら自分の言葉に責任を持たないとね」
「………仕方がない。が、明日は上辺だけでも繕え」
「はいはい。……って明日ぁ?!」
繕う状況など、一つしかない。それを明日行えということは…。
「その横柄な態度に見合った働きを期待しているぞ」
「明日って……。嘘だろ…」
契約した。その内容も聞いた。
だが、その賊討伐が明日だと?!
いくら何でも急すぎる流れにめまいを覚え、卓につっぷした。
ああ、やっぱりこいつは悪役だ…。
そううな垂れる頭で考えた。
暫くそうしていたが、どれだけ否定しても変わらないものは変わらない。
憎らしいが、こいつは嫌いではない。そう納得したらやることは決まった。
「と、そういえばあんた名前は?」
「……本当に旅をしてるのか?」
「は?」
「いや、…そうだな、子桓と呼べ」
「ふぅん」
「?」
突然座っていた椅子を立った意味が分からないのか、彼は若干戸惑った表情を浮かべている。
それに内心してやった!と考えながら地に足をつけた。
手は前に、目を伏せて。それは正しく臣の礼。
「…お 」
「子桓様、此度の命、謹んでお受け致します。及ばずながら末席にてこのの力、存分に揮いましょう」
「………、…励め」
「はっ!………てことでです。宜しく」
「…ふ、精々言葉を違えぬようにな」
「し、失礼な」
当初はすぐに去る予定だったこの国で起きた出会い
それは本当に意図せず起きて
自らの褥を静かに揺らした
05.05.11UP
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初・曹丕さん。ついでもって初傾向な主人公殿。…男勝りですな。
思ったよりも長く、前・後編(下手すりゃ中編まで…)になって申し訳ない…。結構早めに続きはアップでき
ると思うのでお待ち下さい。
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