それは何の因果か

                幾重もの偶然が重なり編み上げられた出会いに、息をつく

 

 

 

             ― 尚も遠く  2 ―

 

 

 

                何の気もなく、ぶらりと下りた城下でそれに出会った。

 

                「孫家も嫌いじゃないんだけどね…」

 

                ふ、と耳を掠めた言葉に街並みを眺めていた視線を上げる。

 

                孫家…。呉のものか?

 

                この魏にてその名を呼ぶとはどれだけの愚か者かと呆れながら、曹丕は声の方へと振り返った。

                そこに立っていたのは外套に身を包んだ黒衣の男で、傍らに長く布に包まれた物…恐らくは槍を携えている。

                男のわりには随分と小柄だが、他はどこにでもいる旅人と何ら変わりない。

 

                けれど、逸らすことなく前へと据えられたその視線は強く…。

 

 

                何を、求めている…?

 

 

                揺らぎもせず一点を見つめるその横顔に、その漆黒の瞳に、曹丕のどこか奥が疼いた。

 

 

 

 

 

                「おっと」

 

                男が零した声にはっとすれば、どうやら住民とぶつかりそうになったらしく、その体を僅かに傾けている。

                続けて住民の男が謝り、黒衣の男は手を振って気にするなと答えている、そんな何でもない風景だが。

 

                「……何だ、あの気迫は…」

 

                別れ、界隈へと進んでいった黒い背を見つめ、震える声で言った住民の男の言葉がそれを否定する。

                そう、男の言うとおり凄まじい気が、曹丕の元までも伝わっていた。

                今まで微塵もその気を感じさせなかったのに、一瞬で住民の男を凍らせる気をあの黒衣の男は放ったのだ。

 

                まるで、獰猛な獣に見据えられたが如き戦慄。

 

                伝わったそれに、無意識のうちに伸ばしていた懐刀から手を離す。

                そうして暫く立ち尽くし、やがて消えていったその住民をも見送って、曹丕も足を進めた。

 

                「…面白い」

 

                至極楽しげに口元を緩め、向かう先は黒衣の男が消えた先。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                「…で、どうしてあんたの副官なんてしなくちゃいけないのかな?」

 

                盛大なため息に、知らず思い返していた昨日から抜け出す。

 

                今の自分がいるのは賊が相手とはいえ、戦場だ。

 

                ほんの僅かな気の緩みが命取りとなるのに、何をやっているのやら。

                内心自分に呆れながら、緩みかけていた気を張り直し、曹丕は意識を現実へと向けた。

                そうして地図に向けていた視線を上げれば、困惑気な黒衣の男が自分を見つめている。

 

                ああ、副官がどうとか言っていたな…。

 

                “意図が分からない”とその整った顔に書いてある彼に、口元を緩め応える。

 

                「何だ、その力がないのか?」

                「あるに決まってるだろ!

                 ってそうじゃなくて…、何で雇われの身で副官なんて大層な役目を…」

                「大層だからこそ、実力のある者を据えるのだが?」

                「………………ああ、そーかよ」

 

                しれっと答えれば男は視線を泳がせ、顔を背ける。見ればその耳は僅かに赤い。

                実際にあの後、彼の槍術を見た上での言葉なのだが、言われ慣れないのか照れたようだ。

                自分の天幕に二人きりということもあり、変わらぬ彼のぞんざいな口調とその様子を面白げに見やってから、

                曹丕は再び手元の地図へと意識を戻した。

 

                「これが今回の討伐の地となる場所だ」

                「……賊はこの地の出が多いのか?」

                「そうだ」

                「だったら、少し厄介な配置だな…」

                「ああ」

 

                じっと地図を見、顎に手を添えて考え込む男に曹丕は頷く。

                確かに賊がいるのは山頂、自隊がいるのはふもと、と余り上手くはない配置だ。

                それほど山が高くはないとはいえ慣れぬ土地ならまだしも、賊の多くがこの地を知っていれば状況の悪さは

                変わらない。

 

                「…賊の数は?」

                「斥候の話によれば四百。内、騎馬が三十だ」

                「それだけの数でここまで生き残ってるのか。…頭はただの馬鹿じゃないな」

                「……第一隊が引いているからな」

                「え、そうなのか?」

 

                地図から上げて驚きを表した顔を向けてくるのに、曹丕は眉を寄せ答える。

 

                「…今回ほどしっかりとした隊ではなかったからだ」

                「ああ、つまりあんたみたいな指揮官がいなかったってこと?」

                「……そうだ。 というのも自惚れているようで嫌だがな」

 

                腕を組み直し、曹丕は詳しい内容を伝える。

                第一隊はこの討伐の前に寄越した兵で、賊の数からか、新兵の訓練代わりにと甘く考えて纏められたもの

                だった。

                名のある将も居ず、数も八百程度の隊。それでも最初はこちらが勝つと誰もが疑わなかった。

                結果はみるも無残な敗北で、ただの賊ではないと気付くこととなったが。

                何とか戻った第一隊は、撤退が早かったお陰で死傷者が少なかったのが唯一の救いと言えるほど憔悴し

                ていて。その指揮をしていた曹仁の副官が必死に謝っていたのを思い出す。

                そういう諸々のことから今度の討伐には自分が選ばれた。

                数を千に増やした兵も、手練れのものを中心として構成し直している。

 

                それで、十分だと思っていたんだがな…。

 

                自分の説明を聞いた後、また何事か考え込んでいる目の前の男を見て、曹丕は昨日の自分を振り返る。

 

                何故か、このまま逃すのが酷く惜しいと、そう思ったのだ。

                あの一瞬の邂逅で。

                この黒衣の武人を。

 

 

                「…

                「ん?」

 

                名を呼べばすぐにこちらを向く。その率直さに、僅かに視線を逸らして曹丕は口を開いた。

 

                「………お前はどこかに仕えていたことがあるのか?」

                「……何で?」

                「昨日の拝礼が手馴れていたからな」

                「ああ、うん、まあ…ちょっとね」

 

                気まずげに言いよどむを見れば微かに眉根を寄せていて、座った膝に組んだ手の指をぎこちなく泳が

                せている。

                どこか苦々しいその様子に、余程主として仰ぐに値しない奴だったかと、そう思ったのだけど。

 

                「最後は、袁紹の下にいたよ」

                「袁紹、だと?あの北の袁家か?」

                「あー、多分…」

 

                まさかあの名高い袁家とは思わず、暫し呆然と頬をかくを見つめた。

 

                「…何故離れた?」

 

                未だ強大な力を誇る袁紹の下に居ればこうして旅歩くよりは遥かにまともな生活が出来るだろうに。

                そう重ねて問えば、は憮然とした表情で答えた。

 

                「…別に安寧な暮らしを求めて武を手にしたんじゃない」

 

                軽く息を吐き、目を伏せるを黙って見つめ、続く言葉を待つ。

 

                「守りたいと思ったからだ」

 

                言って上げた瞼の下に光る漆黒の瞳に、息をのむ。

 

                それは、あの時と変わらぬ視線で

                強く、消えぬ何かを追っていた。

 

 

 

                「……袁紹はそれに値しなかったわけか」

                「まあ、そういうこと」

 

                沈黙を挟んでそう言ってやれば、は肩を竦めて躊躇うことなく言い捨てた。

 

                「随分と贅沢なことだ」

                「何事も至上を目指す性質でしてね」

 

                顔を見合わせて互いに笑う。

                軽く傾げたの黒髪が、視界で柔らかく揺れた。

 

 

 

 

                ああ、そうか。

                私は―――

 

 

 

 

 

                「そ……子桓様、賊に動きが…」

                「 、今行く」

                「はっ!」

 

                天幕の外から聞こえた兵の言葉に立ち上がり、傍らの剣を掴む。

                そうして出ようとしたのだが。

 

                「何だ?」

                「いや、…何かあんたの名前呼ぶとき間がないか?」

 

                背に刺さる視線に振り向けばが訝しげに聞いてきた。

                確かに普段の自分は子桓などと呼ばれることはない。が、今回はそう呼べと全兵に命を与えている。

                それを目の前の人間に知らせるわけにはいかなくて。

 

                「…そうか?」

                「そうかって、あんたのことだろうに…」

 

                いっきに脱力したに口元を上げ、未だ広げていた地図の上に指を滑らせながら声をかける。

 

                「それより、…策が出来たのだろう?」

                「…何だ、分かってたのかよ」

                「一応はお前の上司だからな」

                「………仮初めのくせに」

 

                その些細な反撃にも笑って返せば、眉を跳ねさせながらも槍を手に立ち上がった。

                そうして出口に立っていた自分の近くへと足を進めてくる。

 

                「速攻で勝つ」

                「面白い」

 

                目線を交わすことなくは通り過ぎ、天幕を開いて出ていった。

                黒衣の背が白い幕の向こうへ消える様に曹丕は更に笑みを深め、過ぎた情景を重ねる。

 

                何故かあの時、このまま逃すのが酷く惜しいと、そう思った。

 

 

                “仮初めのくせに”

 

 

                「ならばその言葉、撤回させてみせよう」

 

                そう誰ともなく呟き、曹丕も厚い天幕を開き、戦場へと向かった。

 

 

                                                             05.05.14UP

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                うわ、やっぱ中編まで…。さん、曹丕さんに性別教えてません。お陰で前半は男男言われてます…。

                後編では曹丕さんが何故さんの視線が気になったのか、など掘り込んで書きたいと思います!せ、戦

                闘シーンを頑張って短くさせよう…!!

                それにしても曹丕さん…含み笑いでからかい&誤魔化しまくってますね。ある意味笑顔(というような穏や

                かなものではないんですが…)が多い人だと思います。(拙宅では)

 

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