気がついたことに笑みを浮かべる

 

                どこか私たちは似ていて

 

                それに、どこか奥が確かに疼いたけれど

 

                けれど

 

 

 

             ― 尚も遠く  5 ―

 

 

 

                堅牢に組まれた石門を通り、吹きつけた風に目を細めた。

 

                「また、砂埃がついちゃうな…」

 

                身にまとった外套を見やって諦めの息をつく。

                そうして地に置いていた布袋を手に取り、肩にかけ歩みを進めた。

                進めた、のだが。

 

 

                「何をしているのかな、若君殿は?」

                「………やっと気付いたのか」

                「んー、昨日思い出してね」

 

                これみよがしのため息をついて振り返れば、街と外界を遮断する石壁にもたれた元雇い主がいた。

                若君。

                つまりは、この魏の主――曹操の息子である曹丕である。

 

                「全く、旅をしていてそれぐらい知らなくてどうする…」

                「だから、思い出したって言っただろう?!苦手なんだよ名前覚えるの!」

 

                心底呆れたように言う彼の言葉にむっとする。

                確かに、本当に昨夜やっと魏の重要人物の字が“子桓”だと思い出した時には我ながら頭を抱えてしまっ

                たのだが、それでも他人に指摘さるのはいい気がしない。

 

                「で、その若君殿が待ち伏せまでする用とは何かな?」

                「……お前は礼金も受け取らず出るつもりだったのか?」

 

                嫌味っぽく言っても全く堪えた風はなく、返された言葉に嘆息して頭をかいた。

 

                「…怪我の治療してもらったからそれで充分なんだよ」

 

                そう言って下ろした右手には幾重にも巻かれた白い布が見える。

                身を包む黒衣との対比で目立つことこの上ないが、実際はそれほど重い傷を負ってはいない。

                だからこうして、旅に出ようと思っていたのに。

                供一人つけることなく腕を組んで立っている彼の姿にまたため息が出る。

 

                「囮のせいで負った傷の手当ては謝礼と別だろう」

                「……あっそう。んじゃ貰えるものは貰っておこうかな」

                「そうしておけ」

 

                言って、彼が外壁から離れてこちらに近づいてきた。

                そうして一歩距離を開けて立ち止まる。

                立ち止まって、懐から手のひらに余るほどの袋を取り出した。

 

                「何か…多くないか?」

                「見合った働きはしている」

                「そ、そうか…?」

 

                はっきり言って余裕で二月は暮らせそうな量に唖然としていたのだけど。

 

                そんな大したことしてないんだけどな…。

 

                重そうなそれを持ち上げ、渡そうとする彼の手に釣られるように右手を差し出したのだが。

 

                「………何だ?」

                「いや」

 

                未だ彼の手には重そうな袋が握られていて、あと少しで止めたその意味が分からず訝しげに見上げる。

 

                暫しの沈黙が落ちた。

 

 

 

                「本当に何なんだ…?」

 

                訳の分からない彼の行動に困惑しながら問いを重ねる。

                しかしその答えは返らず、また暫くの沈黙が続いた。

                段々と居心地悪くなってきたそれが、ふと崩れる。

 

 

                「私の下に来い」

 

 

                じっと、逸らすことなく見据えられ、言われた内容に固まる。

 

                「…………………………………………は?」

                「二度は言わん」

 

                先とは全く違う沈黙を挟んで聞き返せば、憮然とした言葉が返ってきて。

 

                げ、幻聴じゃなかったのか…。

 

                思わず耳にそえた手を気まずげに下ろし、視線を泳がせる。

                まさかそんなことを言われるとは思ってもいなくて。

                予想もしていなくて。

 

                ……別に、彼のことは嫌いではない。

                むしろ、好む部類の人間なんだけど。

                けれど、それでも、

                どうしても…。

 

                「…………………そう言ってもお前は行くのだろう?」

                「う、ばれてる…」

                「お前ほど分かり易い奴もいないからな」

                「ぐ…、ば、馬鹿にまでされてるし…」

 

                いくら睨んでも変わらない彼の表情に、過ぎた天幕での会話を思い出した。

                追い求め、渇望していたものは

                今も尚、遠く。

 

                「………ごめん、魏は、違うと思ったんだ…」

                「分かっている。最初にもそう言っていたからな」

 

                小さく息をつき言う彼に、うな垂れる。

                そうしていたらぽんと頭に手を置かれ、未だ掴まれていた礼金の袋を渡された。

 

                「お前の心が違うと言うのだろう?」

                「……うん」

 

                見上げた顔に怒りや失望の色はなく、ただ少しの呆れと苦笑だけが浮かんでいる。

                想像していたものと違う彼の表情に、戸惑いながらも頷けばその笑みは変わって。

 

                「ならばお前から望むような地にしてみせよう」

 

                簡単なことだと、自信を含んだ笑みと共に言われたことに呆気にとられる。

                が、それに構わず彼は続けて。

 

                「後で後悔しても知らんぞ」

                「……………………………………っ、く、ははははははは!」

 

                違えることなどない、と言わんばかりの彼に、声を上げて笑った。

 

                「っ、うん、まあ、期待してるよ」

                「……笑いながら言うとはな」

                「いや、何つーか意外で、ね、っ」

                「いい加減笑いやめ」

                「うん、ごめん」

 

                その後も襲いくる笑いの波を流し、息をつく。

 

                「…本当に期待してるから」

                「散々笑ったがな」

                「まあ、あれは許して」

                「……全く」

 

                目じりに浮いた涙を拭い、しっかりと背を正せば彼も憮然とした表情を消して。

 

                「行くのか?」

                「うん」

 

                今度は親愛の情を込めて笑みを返す。

 

                「じゃあね」

                「……ああ」

 

                握手のために出した右手に彼の手が返ってきて。思ってもいなかったそれにまた笑みが浮かぶ。

                そうして手を解いて、今度こそ足を踏み出した。

 

 

 

 

                「

 

 

 

 

                今日始めて呼ばれた名に、歩みが止まる。

                けれど振り返ることだけはしないで。

 

 

                「

 

 

                呼ぶ声に、外套をきつく握る。

 

 

                「必ず、変えてみせよう」

 

 

                最後の言葉で、やっと振り返った。

 

 

                「ああ、期待してるよ、“子桓”」

 

 

                笑顔で言えば彼は驚いたように目を見開いて、

                次いで柔らかく笑った。

 

                それに目を細め、また進む先へと視線を戻す。

                今度は振り返ることもなく。

                彼も――子桓も私を呼ぶことなく、ただ風だけが背を押すように吹いてきた。

 

 

 

 

 

 

                それが、どこか似ていた

                曹操の息子ではない

 

                “子桓”との出会い

 

 

 

                                                               05.05.19UP

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                やっと終了いたしました。

                武人と個人としての好みは違うのだろうな。という考えから始めたこのお題…。

                まさかこんなに長くなるとは思ってもいませんでした(苦笑)。

                何はともあれ、最後までお読みいただき、本当に有難うございます。

 

 

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