― 捕まるな! 凌統編 ―

 

 

 

「どうして私まで走らなくちゃいけないの…」

「何となく?」

「何となくで人を拉致るなよ!」

 

笑いながら答える凌統の頭をどつきたい気持ちにかられる。

そうすると左手に抱えた竹簡が乾いた音をたてた。

 

「ちょ、ま、待って凌統!私周瑜様の所に行かないと!!」

 

音に冷やりと流れた汗もそのままに前行く背に叫ぶ。

日頃孫策様に向けられる、あの静かなる怒りを体験するなど全くもって御免だ。

 

「何で?」

「何でって、この竹簡が目に入らないの?!」

 

背を向けていて目に入るわけもないのだが、忍び寄る恐怖に混乱するは気付くことはない。

急ぐものではないのだが、届けぬわけにはいかないものだ。

仕事なのだからそれで当然で、せめて落とすことはないようにとは抱える力を更に強めた。

 

「ふぅん」

「ふぅん、じゃなくて!離してー!」

 

何だか本当に拉致っぽくなってきているが、凌統は平然としたまま走り続ける。

そうして角を曲がった先に居た一人の文官に声をかけた。

急ぐでもなく回廊を歩んでいたその文官は将である凌統の言葉に止まって拱手し、続きを待つ。

 

「悪いんだけどこの竹簡を周瑜殿の所へ届けてくれないか」

「畏まりました」

 

息継ぎもなくそう言って凌統は私の左手から竹簡を抜き取り、文官に渡した。

 

「ついでに“は急用が出来たので暫く戻りません”ってのも伝えておいてくれ」

「ちょ、凌統?!」

「承知致しました」

 

いや文官さんも承知しないでくれ!と突っ込む間もなく、続けて二・三文官と言葉を交わした凌統は再び走り出す。

 

拉致っぽくではない。これはもう拉致確定だ、と流れる景色に遠く思った。

 

「あー、あの文官さんも仕事あっただろうに…」

「だから名前聞いたんだろ」

「へ?」

「呂蒙殿就きって言ってたからな。後で弁解しとく」

 

まさかそんな配慮をしていたとは、凌統の行動に目を瞬く。

そういえば道すがら文官は他にもいたが声をかけずに通り過ぎ、最後の彼でやっと呼び止めた。

声を掛けた者と掛けなかった者の違い。

それは手に書類を持っているか、いないか。急いでいるか、いないかだ。

 

「………私もお礼言わないとね」

「いいんじゃねぇ?」

 

そのまま足を止めず駆ける凌統に自然と口元が緩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつか門を抜けて、城なんてとっくに出て、街を駆け抜ける。

多く下りることの出来ないその街の様子に視線を踊らせ、伝わる活気に心が温かくなった。

本当はもっとゆっくりと廻りたいのだけど。

 

「もう甘寧追ってきてないんじゃない?」

「いやあいつはしつこいからな。もう少し行ったらいい場所があるんだ」

 

凌統の引く手は緩まず、更に奥まった所へと進んでいく。

迷う様子の全くない彼に、甘寧の負けを感じながら自身も足を動かした。

 

そうして人々の賑やかさから離れ、涼やかな風が届く頃。

青い緑に彩られる街を一望出来る、開けた草原へたどり着いた。

 

余りの鮮やかさに軽く息切れしていたのも忘れ、じっと見入る。

 

「いい場所だろ?」

「…うん」

 

遠く見える城へと目をやって、凌統の言葉にそう答えた。

 

「偶然見つけてからちょくちょく来てたんだが、今日は晴れてるから一層映えてるな」

「そうなんだ」

 

青空と重なった人々の営みは確かに強く息づいて見え、嬉しさが宿る。

 

「ま、ここまではあいつも追ってこれないだろ」

「あ…」

 

隣に立つ凌統の言葉に走っていた目的を思い出す。

いくつも道を抜け、廻り廻って着いた場所がここ。

自分でも手を引いてくれてなかったら迷っただろう程に複雑だったけれど。

 

「というよりさ、まさか城から出るとは思ってないんじゃない?」

「俺は範囲の指定はしてないぜ?」

「屁理屈…」

「戦略と言え」

 

そんな言葉を交わして、生え始めたばかりの柔らかい草地に腰を下ろす。

低い位置から吹いてきた風に髪が揺れた。

 

 

 

「いい場所だろ?」

「うん」

 

先と全く変わらない言葉。

けれども中に含む意は少し違って。

 

「ここに来ると、色々考える」

「……」

「呉の未来とか、武を揮う理由とか、

 父上のこととか」

「……」

 

語る凌統の言葉は静かで、私は黙って眼下の街を見下ろす。

 

「この街を作っているのは民と殿だ」

「うん」

「そして孫策様や周瑜殿たち武将や、さっきの文官たち皆が支えてる」

「そうだね」

 

こんなにも伝わる人々の息吹の根底に流れるもの。

それは生きる民の力は勿論、あの城に住む皆もずっと心血を注いで出来上がった形だ。

 

「支える中にはあいつもいる」

「……」

 

少し前まで言い合っていた甘寧も、呉を形作る大切な力。

 

「そういうことも考える場所だ」

「……そっか」

「こういう場所も必要だろ?」

「……うん」

 

失う重さは計り知れなくて。当事者以外には分からないのだろうけど。

少しでも重さを拭うのは、その当事者以外なのかもしれない。

 

「……いい場所だね」

「ああ」

 

風に揺れる草原に、青空に映える街に目をやって言う。

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ戻るか」

「あー…周瑜様に怒られそう…」

 

立ち上がって服についた草を払い自分の上司を思った。

すると同じく立ち上がった凌統が払い終えた私の右手をとる。

 

「?」

「攫った姫はちゃんと送らないとな」

「は?」

「行くぞ、

 

そう言って来たときと同じく駆け出す。

 

「姫って…尚香様じゃあるまいし」

「…………お前、本当に鈍いのな」

 

長いため息に首を傾げながら戻る先へ進む。

囲む城壁が陽に温かく光って見えた。

 

 

                                                             05.05.01UP

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凌統はどんどん成長していく姿が4で見れる気がします。結構懐の広い人だと思う。

成長の一端を担うのは周りの人。そう分かっているからこそ、かな、と。

選択小説やっと完成致しました。

 

 

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